2022年度に新設された「世界文化に触れる会」第1回講演会が、NHK元報道局国際部長江口義孝さんをお迎えして開かれました。長年、国際報道に関わってこられた豊かな経験に基づく見識に魅了され、
報道現場の緊迫感が直に伝わる、テンポのいい話の展開に皆、我知らず引き込まれました。

 

1114日(月)藤が丘地区センター(中小会議室)13001600 3部構成

第一部「Santiago de Compostelaと巡礼」

第二部「ペルー大使公邸人質事件」

第三部「切迫する世界情勢」


Santiago de Compostelaと巡礼」

「ガルシア地方のSantiago de Compostelaへの巡礼は、神のお告げを受けた農民が星に導かれ野原で聖ヤコブの棺を発見したことが発端だった。」 
この冒頭のフレーズで、私たちは一挙に9世紀初頭の世界にいざなわれました。
(Santiagoはヤコブのスペイン名、 Campusは野原、Stellaeは星の意)
 

聖ヤコブの棺


【その歴史】キリスト教の第1の聖地はキリストが処刑された地エルサレム、第2が聖ペテロの殉教の地ローマだった。そして9世紀初頭ガルシア地方で聖ヤコブの棺が見つかり、ローマ教皇レオ3世によって本物と認定されて、第3の聖地Santiago de Compostelaへの巡礼の歴史が始まった。


エルサレム               ローマ                      サンチャゴ・デ・コンポステーラ


イスラム勢力の侵攻、それに対抗するキリスト教徒騎士団の抵抗運動(レコンキスタ)が続く中、
1113世紀にかけてSantiago巡礼がブームとなり巡礼者数は数十万人/年になる。
 


1492年イスラム最後の王国グラナダ陥落でレコンキスタは終了。
同年カスティーリャのイザベル女王の援助を受けたコロンブスが新大陸到達。
この大航海時代、宗教改革。ルネッサンスによって時代は中世から近代へと移行。

 新教徒が巡礼に重きを置かない聖書至上主義の立場をとったことから、第3の聖地への巡礼者数は年間数百人まで激減。


 しかし1990年代以降、巡礼ブームが再来。コロナ前の2019年には約35万人となった。

 【ブーム再来の理由】

・巡礼路の一つ「フランスの道」がユネスコの世界遺産に登録された。

・ベストセラーとなった本や映画の影響大。 「星の巡礼」パウロ・コエーリョ、

 「カミーノ 魂の巡礼」シャーリー・マクレーン、「サン・ジャックへの道」仏喜劇映画等。

【巡礼の魅力とは】

40日ほどで800㎞を歩く過酷な行程ではあるが、自然豊かな巡礼路を歩く楽しさと、歴史建造物との出会い。さらに、沿道に咲く美しい花々、放牧された羊たち、糸杉の並木、牧草地の馬、広がる小麦畑、全てが大いなる癒し。

・アルベルゲ(巡礼宿)や巡礼路で出会った多国籍の人たちや地元の人たちとの交流。

 ・味付けは素朴だが、おいしい料理と安価で種類の豊富なワイン。

 ・費用は一日30ユーロ程度。全日程を歩いても1,500ユーロ。

 ・巡礼者用の「クレデンシャル」に押される趣向を凝らしたスタンプ。

 ・ゴールすると、ラテン語で書かれた「巡礼証明書」を付与される。         

 

 リタイア後、次の仕事までの3カ月の自由時間を使って、ご夫妻で挑戦した巡礼の旅。
暑い中13001500メートル級の山を3つ超えての、体力的にはきつい旅ではあったが、歩き通した達成感とクレデンシャル(巡礼手帳)は良い思い出になった、と結ばれました。

 

ペルー大使公邸人質事件

現役時代33年間に70か国を回り、出張回数170回。当時は東西冷戦下。砲弾が空気を切り裂くように飛ぶ戦地にも赴いた。

 

中でも最大の出来事は在ペルー大使公邸人質事件。
それは19961218日(現地時間17日午後8時)現地の取材助手からかかってきた1本の電話で始まった。
「日本大使公邸の近くで銃撃音がしているということです」

 

当時、東京でデスク業務をしていた私は、すぐに取材助手に現場へ行ってもらった。
激しい銃撃戦の最中の電話即時レポートを素早く原稿にまとめ、報道局内共聴マイクに向かって怒鳴った。
「こちら国際部、ペルーの日本大使公邸で銃撃戦。直ちに一報出稿!」 

11時のニュースに間一髪間に合った。

 

この日大使公邸では天皇誕生日を祝うパーティーが開かれていた。
侵入したのは反政府武装勢力。
邸内にいるのはペルー政府要人、各国大使、日本企業代表者、日系社会の人たちと、青木盛久大使以下大使館員。
この情報で一気に日本を揺るがす大ニュースとなった。


若い記者に命じて大使公邸に電話を休むことなくダイヤルさせた。
電話に出たのは「トウパク・アマル」のリーダー、セルパ。
 仲間の開放を要求していた。

武装ゲリラ・トゥパク・アマル

2時間ほど間をおいて再度呼び出すと、スペイン語で受けたのは青木大使。
目の前の武装ゲリラがスペイン語しか許可しないという。
この二人との会話は内部の様子を伝える声として、全世界に配信された。

 

この事件は、解決までに127日。厳しい交渉、膠着状態が続く中、背後では平和的解決か武力突入かの選択を迫られた。
 結局、トンネルを使った特別編成部隊の突入作戦で、ペルー人人質1人と軍人2人の犠牲者が出て、事件は終わった。

突入作戦のトンネル


【テロ撲滅の徹底戦】

90年に登場したフジモリ大統領は、徹底した情報収集による反政府武装勢力の摘発を行い、農村部の貧困層への援助などを通じて、テロの撲滅に取り組み大きな成果を上げていた。壊滅まであと一歩に迫っていた時に、この事件は起こった。

事件の背景には、ペルー国独立以来の宿痾である農村部での貧困がある。教育を受けさせず、裸足、文盲。こうした根深い問題を解決しなければ、ゲリラ問題は解決しない。

 
【情報収集】

報道に際し常に心することは、

ニュースの筋を見誤らない正しく正確な情報を得る。
事件の最中にもガセネタが散見されていたため、要所、要所でその見極めが必要だった。

 

大使館の政務担当や経済担当書記官に接触し、紹介してもらい、現地の人とも仲良くなる。
こうして情報源を確保し、長く保持していく。 秘密、約束は守る。

 

切迫する世界情勢

二月のロシアによるウクライナ侵攻以来、絶え間ない攻撃にさらされる現地の状況は凄惨を極める。
ひとたび始まってしまったら戦争はなかなか簡単には終わらない。引くことはプーチンの終わりを意味する。だから攻め続ける現状。

今はいろいろな情報がインターネットで見ることができる。日頃目を通す情報源として、

US Department米国国防総省の会見。刻々と推移するウクライナ情勢など。

・「Foreign Affairs」米外交問題評議会が発行する外交・国際政治誌。Fiona Hill も寄稿。

[Financial Times] 読み応えあるGideon Rachman の評論。買収した日経にも、時に掲載される。

・「Economist」上質な記事。・[New York Times]  etc.


Q and Aから

Q, Santiago de Compostelaのお話を伺って、是非行ってみたいが、体力的にかなり大変ですか?

A, 一気に全部でなくても、ある程度歩いて後はバスに乗ってもOK100Km歩けばいい。

Q,NHK BSの「キャッチ!世界のトップニュース」を興味深く見ています。
   世界のニュースをどのように選んでいるのでしょうか。

A,世界の17か国の国と地域、19の放送局が伝える注目ニュースをピックアップして、焦点や背景を解説しています。

・海外メディアは様々ありますが、例えば英「BBC] 世界を広く網羅し信頼度が高く、アメリカへの評論は的確。独ZDFは経済、対ロシア報道、仏F2はアフリカに関する情報が強い。スペインTVEは中南米に関する情報に強い。中国はしっかり国営。韓国はKBS。シンガポールは東南アジアの情報を公平に伝えているなど。

BS-TBS の「報道1930」はいい出演者を連れてきていて、ウクライナ報道では防衛研究所高橋杉雄、東大先端研小泉悠など専門家がコメント、元フォーサイト編集長堤伸輔が解説している。

・ロシア関連では政治学者木村のロシアやプーチンについての著書が、平易で奥深い。

Q,CNNは内容が今一つとの評判もあるようだが…

A,CNNは早い! 速さが売りで内容は深くない場合も。

 

Q既定路線というか想定問答的な日本の記者会見のやり方と、遠慮会釈なし攻めの姿勢の欧米系の記者会見とのの違いはどこから?

A日本的な慣行や文化的な背景もあると思うが、報道各社上層部の腰が引けているのも。

 

Q ,語学の勉強はどのように?

A,語学は集中。まさに朝から晩まで。仕事に就いてから切羽詰まってやった感じ。必死で読もうと努力するしかないと思う。各人ごとに、向いた言葉というのもあるように思う。




今、ウクライナのあまりに悲惨な状況に、思わず突いて出た「ロシアは民族的に残虐なのでしょうか」 の質問に、
 一呼吸おいて「どの民族も、日本も含め、皆、残虐です」とのお答え。

 歴史を振り返っても、太古の昔から科学技術が進歩した現代に至るまで、人間は争いを繰り返し、
ひとたび戦争となれば、どこまでも冷酷に残虐になれる。

この人間の業の深さを思うとき、戦火をもくぐってこられた国際ジャーナリストの、現実を見据えた、
冷静で公正な視点を感じました。