2014年12月9日
次に古都ヒワ(ヒワ・汗国の首都)訪問。今も城壁に囲われた街に3千人の人が住んでいます。アムダリー川からの灌漑で綿花の生産が盛ん。主に極東にいた朝鮮族がソ連につれてこられて、栽培に従事。世界第2位の生産量。
水の取りすぎで世界第4位であった湖アラル海の水が、1/3に。
絨毯やスザニーと呼ばれる刺繍が特産。
4番目の都市サマルカンドへは、鉄道で移動。モスクの抜けるような
ブルーから、サマルカンド・ブルーと言われます。
ㇾギスタン広場、ティムールのお墓、昔の天文台など見学。
シルクロードは、紙の道でもあります。中国と戦ったとき、唐の紙職人
を捕虜として連れてきて、サマルカンド・ペーパーを作りました。
後にこれがヨーロッパに伝わり、バイブルの印刷が可能になったのです。
紀元前には、アレキサンダー、13世紀には蒙古にも征服され、
14世紀に英雄ティムールによる大帝国(中央アジア、西アジアにまたがる)の建国.。
19世紀からは、ロシアに征服され、そのままソ連の一員になりました。
’90ソ連から独立。そのときからカリモフ大統領独裁が続いています。
首都タシケントには、シベリア抑留された日本人が作ったというオペラハウスがあり、
大地震でも無傷であったそうです。このとき頑張った日本人の資料館もあります。
大高さん(左)の写真の指導に当たった
日高カメラマンと共に。
ゲスト スピーカー 大高 英昭氏(MIA会員)
次いで古都プハラ(プハラ・汗国の首都)ここも世界遺産。
プハラ城、モスクとミナレット、サマニ廟などなど訪問。
サマルカンドからタシケント(距離約300Km)へは、j時速180Kmの高速鉄道がありました。
流線型の新幹線に似た車体です。
以上を大高さんの写真を指導されたカメラマン日高氏のプロジェクター操作で、美しい
珍しい写真を沢山見せていただきました。
講演の後は、会員手作りの数々のお菓子やフルーツなど頂きながら、楽しい時を過ごしました
サマルカンド・ペーパーで作った人形
面積は日本の1.2倍、人口は2900万人。
宗教はイスラム教、しかしワインもビールも
作り、女性は頭にブブカを被らない人の方が
多い、宗教的にマイルドな国のようです。
人はとてもフレンドりー日本語とゼスチャーで
何となく通じました。
お話しは期待に違わぬ興味深いものでした。
ウズベキスタンは、ダブル・ブロック・カントリー。
即ち東にキルギスと中国、南にトルクメニスタンとイラン。
いずれも二つの国を通らなければ海に出られない、ダブルにブロック
された国。ユーラシア大陸のど真ん中のこの国に、なんと成田から
週2の直行便がでているとのこと。
首都タシケントからヒワ、プハラ、サマルカンドそして首都に戻る。
8日間の旅だったそうです
右の油絵は大高さんが描いたアムダリア川
樹木が少なく、緑が非常に貴重です。
高齢の女性たちとも、ゼスチャーを交えて
話をしました。
未完のミナレット”カリタ・ミナル”
。厖大な距離の天山山脈を越えて・・・