3. ロシア帝国滅亡

次のピンチは、ニコライ2世が二月革命で退位させられ、ロシア帝国が、滅亡したときです。

無血退位でしたので、エルミタージュは、無事でした。
1917年のことです。


4.ソビエト革命

その年の十月に二月革命で出来た臨時政府をソビエト(労働者・農民・兵士の評議会)が武装蜂起し、

壊滅させます(十月革命)。このときも幸い大した戦闘ではなく、エルミタージュは無事でした。


5.ソ連邦設立


1922年共産主義国家ソ連が形成されました。首都は、レニングラード(サンクトペテルブルク)からモスクワに移転

政府がいなくなった冬の宮殿は、エルミタージュ本館としてオープンします。

政府は、貴族・大富豪・教会の美術品没収し、エルミタージュへ回収。



6.ソ連政府 エルミタージュの美術品売却

政府は、第1次世界大戦、ロシア内戦で疲弊したソ連経済を立て直すため、秘密で米国に美術品を売却したそうです。

売られたものは、現在も米国の美術館にあります。しかし、この売却は、
1度だけだったので他の多くは、無事でした。

 

 ラファエロ アルファの聖母」売却

 
7.独ソ戦争(第
2次世界大戦)

 ヒトラーに狙われ、レニングラード(サンクトペテルブルク)は、900日間包囲されます。

300万人の市民の中100万人が餓死したそうです。この状況でエルミタージュは、一日も休まず営業したそうです。

エルミタージュの職員は、事前に察知し、何がしかの美術品は、ウラル山地に疎開することができたそうです。

ヒトラーの作戦が飢え死に作戦だったので、砲撃、爆撃はほとんどなく、エルミタージュは、無事でした。

 

8.ソ連崩壊&その後のロシアの混乱

2次世界大戦後、ソ連は発展し、世界第二の経済大国、世界一の石油産油国になります。

しかし、共産主義は行きづまり、
1992年にソ連は、崩壊します。

ソ連崩壊後、エリチンによる失政で、ロシアの経済は、更に悪化。インフレ3000%、物々交換の世界となります。

国民は、ソ連時代のダーチャ(国から与えられた1家に
100坪ほどの土地)で自給自足でしのぎます。

 


9.プーチン登場

 2000年にプーチンが登場してから、綱紀粛正、石油の増産に努め、No.1産油国の地位を取り戻します。

石油の億万長者が多く生まれました。

 エルミタージュも建物&美術品の修復、学術研究の充実、美術品を世界に貸出すなど、活発な活動を行っています。

 

 

ソ連時代からのロシアの産油量の変遷

「ロシアの石油産出量の推移」の画像検索結果

「ロシアの宝 エルミタージュ美術館と

その数奇な運命」

 

 

スピーカー: Sさん(MIAメンバー)

 

最初にSさんから「エルミタージュ美術館とその数奇な運命」と題していますが、調べれば調べ

るほど、エルミタージュの歴史が複雑すぎて、美術館の中の話は、後日改めて行いたいとお断

りがありました。

エルミタージュ美術館の歴史は、波乱万丈、ロシアの歴史と言っても過言ではないそうです。


1.エルミタージュの生みの親エカテリーナ2







エカテリーナ
2世は、ドイツの小領主の娘で、ロシア皇帝ピョートル3世に嫁ぎました。

ところが、軍人・貴族を味方につけクーデターを起こし、夫を失脚させます。

第8代皇帝になったエカテリーナは、国の改革、領土の拡大に活躍します。その過程で自分用

の美術品の展示のために宮殿に隣接して小さなエルミタージュ(仏語で「隠れ家」)を作り楽しみました。


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世紀後半のことです。これが現在の世界最大級エルミタージュ美術館の始まりだそうです。


2.ナポレオン戦争

200年続いたロシア帝国の皇帝は、財力にまかせて、美術品の収集に努めました。またエルミタージュ

の建物も旧エルミタージュ、新エルミタージュと拡張を重ね充実していきました。

しかし、エルミタージュは、たびたびピンチに見舞われます。

最初のピンチは、ナポレオンに狙われたことです。幸いナポレオンは、モスクワ攻防戦で冬将軍に負け

敗走しました。エルミタージュは、無事だったのです。
19世紀初めのことです。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Napoleons_retreat_from_moscow.jpg/300px-Napoleons_retreat_from_moscow.jpg

 

 

 

ロシアのお土産 チョコレート

ロシアの人形(マトリョーシカ)





Sさん 興味深いお話ありがとうございました!


異文化勉強会後 会長の発案で暑気払いパーテイをたのしみました。

会場にはロシアのビール、ワインなど、沢山の差し入れがありました。